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会社沿革

社屋写真
2002年に完成した新社屋

1954年
(昭和29年)
先代 湯通堂泉氏が兄弟3人で創業
1967年
(昭和42年)
現在地において産地の集荷場および農家を組織化し、個人商店湯通堂青果として個人創業。
1982年
(昭和57年9月)
有限会社マルユ湯通堂青果設立と同時に代表取締役に現社長・湯通堂巧氏が就任。流通体制の見直し、集荷場・農家の組織体制の強化、各卸売市場との連携強化等、大規模な改革に着手。
2002年
(平成14年)
新社屋完成。前後して大型冷蔵予冷施設の設置と青果物パッケージ設備の導入等を行い、施設・設備の近代化を図る。
2004年
(平成16年11月)
運送業務全般を取扱う関連会社有限会社マルユエキスプレスを設立し、専属運転手の配置等により流通体制強化を図る。

路地モノが一番早くできる温暖な地に注目

事業の始まりは昭和29年、現在の社長の父・湯通堂泉氏が兄弟3人で創業しました。指宿は全国でも温暖地であるため色々な青果物がいち早く収穫できる事に着目してのことです。

当時あまり栽培されていなかったグリーンピース、枝豆など、関東・関西方面の卸売市場で人気があっても早い時期には収穫できなかった農産物を、種まきの段階から収穫に至るまで指導しながら産地育成に努めたのでした。その努力は、南薩地方は言うに及ばず遠くは垂水、佐多方面まで広範囲にわたりました。

このような努力が実り徐々に産地が拡大する一方市場も拡大し、明るさが見えたことから昭和42年に個人商店湯通堂青果を立ち上げるに至りました。

指宿の風土に適したオクラ栽培に注目

健康食品としてテレビでも度々取り上げられ、夏のスタミナ野菜として家庭の食卓に頻繁に並べられるオクラの栽培は、創業者・湯通堂泉氏が指宿の一地区に元々自生していたオクラに出会い、故郷指宿の風土に適したオクラ栽培に目をつけたことから始まりました。

「納豆が好きな日本人に、このオクラのネバネバ感は必ず受け入れられる野菜だ」と確信して日本で最初に産地育成に努めました。

一言で産地育成とは言っても、その努力と苦労は並々ならぬものでした。当時はオクラ自体、消費者ばかりか農家ですら滅多に目にすることがなく、毎晩のように生産農家と栽培方法について談義を交わしました。一方で「タマゴ一個よりもオクラ一本の栄養価」を謳い文句に、まだ珍しいカラー広告チラシを片手に全国の市場や消費 地をまわって試食販売などを行い、普及に努めました。

効率よりも品質第一、地元へ貢献

青果物によっては選果・袋詰を機械化しても支障の無いものもあります。弊社でもオクラの袋詰作業のために最新の機械を導入したこともありました。しかし曲がったり、短かったりするオクラを機械で正確にA級、B級とランク毎に仕分けることはできなかったのです。現在でも大きさや形などの一定の規格を維持し、傷みのない良質の製品維持するための選別、袋詰め作業はパートさん達人手に頼っています。

1日に詰められる量は15~20万ネット。この人手による袋詰めは作業は二つの効果を生んでいます。一つ目は、選別作業と鮮度保持につながっていること。二つ目は、この袋詰め作業は地域の人達の貴重な収入源となっていることです。

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